コツを掴めってどういうこと?
体の中の3つの不思議な力
~身体の学習メカニズムを解き明かす~
プロローグ
そーま
「大沼先生、今日はよろしくお願いします!最近テニスを始めたんですけど、なかなか上手くならなくて...」
大沼「やあ、そーまくん。テニス始めたのか。『上手くならない』というのは、具体的にどんな感じかな?」
そーま「うーん、頭では『こうしなきゃ』って分かってるんですけど、体が言うことを聞かないんです。コーチに『もっと腰を回して』って言われても、どう回していいか分からなくて...」
大沼「なるほどね。実は、その悩みを理解するために、人間の体の中にある3つの不思議な力について話をしたいんだ。」
そーま「3つの力?」
大沼「そう。『身体図式』『身体イメージ』『指向弓』という、ちょっと難しい名前の仕組みなんだ。でも心配いらないよ。具体例を交えながら、じっくり説明していくから。」
第1章:身体図式 ~私たちの中の無意識の名手~
そーま「まず『身体図式』からお願いします。なんだか図面みたいな名前ですね。」
大沼「良い質問だね。『図式』という言葉は、『青写真』や『設計図』のような意味合いで使われているんだ。でも、紙の上の図面じゃなくて、体の中に組み込まれた『動きの設計図』というイメージかな。」
そーま「体の中の設計図...?」
大沼「そうだね。例えば、そーまくんは今、椅子に座っているよね。姿勢を保つために、どの筋肉をどれくらい緊張させているか考えている?」
そーま「えっと...考えてないです。自然と座れてます。」
大沼「その通り!実は今この瞬間も、重力に逆らって姿勢を保つために、体のあちこちの筋肉が絶妙なバランスで働いているんだ。でも、それを意識的にコントロールする必要はない。」
そーま「確かに!考えながら座ってたら大変ですよね...」
大沼「そう。この『考えなくても自然とできる』というのが、身体図式の大きな特徴なんだ。もっと面白い例を挙げてみよう。満員電車の中で、急ブレーキがかかった時のことを想像してみて。」
そーま「あ!体が自然と踏ん張りますよね。」
大沼「そう!しかも、手すりを持っている手の力加減や、足の踏ん張り方が電車の揺れに応じて自動的に調整される。これも身体図式の働きなんだ。」
そーま「すごい...でも先生、なんで『図式』って呼ぶんですか?」
大沼「これは、神経学者のヘッドとホームズという人たちが提案した概念なんだ。彼らは、人間の脳の中には、自分の体の位置や動きを把握するための『暗黙の地図』のようなものがあると考えた。その『地図』という意味で『図式』という言葉を使ったんだよ。」
第2章:身体イメージ ~意識の中の私の体~
そーま「次は『身体イメージ』ですね。これは何となく想像できます。体のイメージ...って感じですか?」
大沼「うんうん。でもね、これが思ったより奥が深いんだ。そーまくん、目をつぶって右手を上げてみて。」
そーま「はい。(目を閉じて右手を上げる)」
大沼「そうそう。じゃあ質問。今、自分の手がどのくらいの高さにあるか分かる?」
そーま「えっと...肩くらいですかね?(目を開ける)あ!思ったより低かった!」
大沼「(笑)そう。これが『身体イメージ』なんだ。自分の体をどう認識しているか、どんなふうに思い描いているか...それが身体イメージというわけ。」
そーま「なるほど!でも先生、さっきの例だと結構ズレてましたよね?」
大沼「鋭い指摘だね!実は、身体イメージは必ずしも正確じゃないんだ。電車で居眠りして、スマホを落としそうになった経験ない?」
そーま「あります、あります!体がフワッとする感じ...」
大沼「そう。あれは、眠っている間の身体イメージと、実際の体の位置にズレが生じているんだ。でも面白いことに、このズレに気づいた瞬間、体が反射的に姿勢を立て直すよね?」
そーま「あ!確かに!でも先生、それって先ほどの身体図式との違いがよく分からないです...」
大沼「いい質問だね。ちょっとテニスの例で説明してみよう。フォアハンドを打つとき、『肘を曲げて、腰を回して...』って考えながら打つでしょ?」
そーま「はい!それが身体イメージ?」
大沼「その通り!身体図式が"無意識の名手"だとしたら、身体イメージは"意識的な監督"みたいなものかな。『ここをこう動かそう』って意識的にコントロールしようとする部分が身体イメージなんだ。」
そーま「あ!だから練習の時は身体イメージをよく使うんですね?」
大沼「そうそう!でも、試合で緊張してると『考えすぎて固くなる』って言うでしょ?それは身体イメージに頼りすぎた状態なんだ。」
そーま「(苦笑)それ、よく言われます...」
大沼「(優しく)大丈夫、誰でも通る道だよ。でもね、これを理解する鍵が、最後の『指向弓』という概念なんだ。」
第3章:指向弓 ~未来を射る弓~
そーま「『指向弓』...なんだか格好いい名前ですね。弓矢みたいな。」
大沼「(嬉しそうに)その直感、すごくいいね!実はこの名前、フランスの哲学者メルロ=ポンティが考えたんだ。『指向』というのは『向かっていく』という意味で、『弓』は...そうだな、『可能性を射る弓』というイメージかな。」
そーま「むむむ...(首をかしげる)」
大沼「(笑)ちょっと難しかったかな。じゃあ、こんな例はどうだろう。テニスコートに立ったとき、どんな風に見える?」
そーま「えっと...白い線があって、ネットがあって...」
大沼「それは誰が見ても同じ光景だね。でもプロの選手が同じコートを見たら、『あそこならショートクロスが有効かも』とか『バックの守備が甘そうだ』とか、様々な可能性が見えてくる。」
そーま「なるほど!プロは違う『見え方』をしているんですね。」
大沼「そう!でもね、単に『見え方』が違うだけじゃないんだ。その『可能性』が見えると同時に、体が自然とその可能性に向かって準備を始めるんだよ。」
そーま「え?どういうことですか?」
大沼「例えば...そうだな。そーまくん、目の前にレモンがあるって想像してみて。」
そーま「はい。」
大沼「今から、そのレモンを口に入れて、かじるところを想像してみて...」
そーま「あ!唾液が出てきました!」
大沼「(笑)そう!実際にはレモンがないのに、体が反応したでしょう?これが指向弓の一番分かりやすい例かな。可能性を『予測』すると同時に、体が自然とその状況に向けて準備を始める。」
そーま「へぇ!でもテニスではどういう場面で働くんですか?」
大沼「例えば、相手のフォームを見た瞬間、『ああ、クロスに来るな』って分かることない?」
そーま「あります!でも、たまに見誤りますけど...」
大沼「(優しく)そう、初心者の時は精度が低いんだ。でも面白いのは、予測が当たる・外れるに関係なく、予測した瞬間に体が動き始めているということ。『指向弓』は、未来の可能性に向かって、今の体を『射る』んだ。」
そーま「なんだかカッコいいですね!でも、これって意識的にやることなんですか?」
大沼「いい質問だね。実は『指向弓』は、身体図式と身体イメージの『橋渡し』をしているんだ。意識的な部分と無意識的な部分、両方の性質を持っているというか...」
第4章:3つの力の協調 ~コツをつかむとき~
そーま「3つの力が協力するってことですか?」
大沼「その通り!例えば、新しいサーブを練習する時のことを考えてみよう。」
まず指向弓が働いて、「こんな感じかな」という予測と準備が始まる
次に身体イメージを使って、意識的にフォームを作っていく
練習を重ねるうちに、だんだん身体図式に組み込まれていく
そーま「あ!さっき先生が言った『コツをつかむ』っていうのは、この3つが上手く協調し始めた時なんですか?」
大沼「鋭いね!その通り。面白いのは、コツをつかむ瞬間って、必ずしも意識的な努力の結果じゃないんだ。むしろ...」
そーま「あ!分かります!『なんか、急に上手くいった!』みたいな?」
大沼「(嬉しそうに)そう!その感覚、大切にしてほしいな。でもね、そこで『やった!完璧!』と思って満足しちゃダメだよ。」
そーま「え?なぜですか?」
第4章(続き):成長のスパイラル
大沼「そうだね...ちょっと例え話をしようか。そーまくん、階段を上るとき、一段上がったら『よし、完璧!』って満足する?」
そーま「(笑)しないですよ。まだ上があるから...あ!」
大沼「(うなずきながら)その通り!運動学習も同じなんだ。『コツをつかむ』というのは、実は新しい階段の一段目に立った瞬間なんだよ。」
そーま「新しい階段...ということは、その先にまた新しい課題が?」
大沼「その好奇心、素晴らしいね!そう、例えばサーブでコツをつかんだ後、今度は『もっと速く』『もっと正確に』という新しい可能性が見えてくる。すると...」
そーま「指向弓が、その新しい可能性に向かって働き始める!」
大沼「(満面の笑みで)完璧!そして、また身体イメージを使って意識的に練習して、それが身体図式に組み込まれて...この循環が、上達という現象の正体なんだ。」
第5章:実践編 ~明日からの練習に活かす~
そーま「先生、すごく分かってきました!でも、明日の練習から具体的に何を意識したらいいですか?」
大沼「うーん、3つのポイントかな:
『指向弓』を育てる
上手い人のプレーをたくさん見ること
『ここを狙おう』『こう打とう』というイメージを持つこと
『身体イメージ』を大切に
フォームの細かい部分を意識的に確認
でも、完璧を求めすぎないこと
『身体図式』を信じる
たまには『考えすぎない』時間も作ること
体の感覚に素直に耳を傾けること」
そーま「なるほど!でも、この3つのバランスって難しそうですね...」
大沼「(笑)そうなんだ。でもね、そーまくん。人間の体って本当に賢いんだよ。必要以上に意識的にならなくても、適度な意識と適度な無意識のバランスを、体が自然と見つけてくれる。」
そーま「えっ、じゃあ意識しなくていいんですか?」
大沼「いや、逆だね。今日学んだことを意識することで、かえって『意識しすぎない』ことができるようになるんだ。矛盾しているように聞こえるけど...」
そーま「なんとなく分かります!『ここは意識的に、ここは任せる』みたいな?」
大沼「その通り!そして、その配分も固定的じゃない。日によって、調子によって、場面によって変化していく。それを受け入れる柔軟さも大切なんだ。」
エピローグ
そーま「先生、今日は本当にありがとうございました!明日からの練習が楽しみです!」
大沼「うん、楽しみにしているよ。でも最後に一つ大事なことを...」
そーま「はい?」
大沼「『分かった』と思った時が、本当の学びの始まりなんだ。これからも一緒に学んでいこう。」
そーま「はい!また教えてください!」
...こうして、そーまくんの新しい学びの旅が始まった。体の中の3つの不思議な力は、これからも彼の成長を支え続けることだろう。